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【友情のメダル】1936年、お互いのオリンピックメダルを分け合った日本人選手がいた【海外の反応】

大江季雄
陸上競技の棒高跳び選手。
オリンピック・ベルリン大会の棒高跳びで、日本の西田修平と争われた決勝戦は有名。

夜間照明の下、延々5時間余にわたった競技で、結局4.35メートルをクリアしたメドウスの優勝が決まった。
2、3位は西田、大江の争いとなり、審査員がこれ以上競技を続けることは過酷であると判断し、順位は日本関係者間で相談して決めるという、オリンピック史上初の裁定を下した。
結局年長者西田が2位となったが、2人は相談のうえ銀・銅のメダルを半分ずつつなぎ合わせて持つことにし、「友情のメダル」として話題になった。
翌37年、招待されたアメリカ室内競技大会でメドウスに雪辱し、同年4.35メートルを跳んで当時の日本記録を樹立している。太平洋戦争初期、フィリピンのラモン湾で戦死。

Wikipedia – 大江 季雄

実際のメダルがこれ

「あなたなら銀をどちらの半分につける?」

そりゃフロントの半分でしょ

外側半分にしたい!

なんか逆にケンカになりそう(笑)

現在のルールではカウントバック方式を採用していて、ミスの数が同じ場合のみ同点となる。1位を除くすべての順位で同点が認められている。

例えば、男子走り高跳びでは、2012年のロンドンオリンピックでは3人の同点2位があったけど、2015年の世界選手権では3人のジャンプオフで決まった。

常に頂点に立つ必要はないのかも。栄光を分かち合うことの価値に気付けた気がする!

何かを出来る限りうまくなるように努力するのはすばらしいことだ。競争はそれをやる気にさせる良い方法だと思う。
ただ、他の人を尊重するとか、人生にはもっと大切なこともある。

西田は86歳まで生きた。彼が死ぬまでその友情メダルを大切にしていた

↑ 彼はどうやら日立で働いていたようだ

仲間が近くにいると、一生懸命になるよね。それはまさに魔法のような絆

胸にあるシンボルについて、誰か知ってる?

↑ 都道府県のシンボルじゃない?

↑ 日本の国旗をすべてチェックしてみたら、このシンボルに最も近いのは三重県のシンボルだった。三重県は、この2人の男性が育った県に近い。

↑ うーん、似てるけど、三重県とは関係ないのでは?わたしの推測では、彼らが所属していた運動クラブのものじゃないかな?彼らの大学(慶應義塾大学と早稲田)のシンボルでもないようだし。

”1937年に大江は4メートル35センチメートルで全国記録を樹立。
2年後の1939年に彼は大日本帝国陸軍に加わり、1941年12月24日のウェーク島の戦いで戦死した。

Wikipedia – 大江 季雄

彼は人生を無駄にしてしまった 🙁

なんという人生だろう…。1936年にオリンピックに出場して優勝した後、ウェーク島への侵攻で多くの兵士の一人として死んでいったとは…。

なんて悲劇的

少なくとも彼は戦闘で亡くなり、ウェーク島にいるすべての日本兵と一緒に餓死はしなかったということ…。

戦争が長引くにつれて、すべての国の人々にとって最悪の状況になっていった。アメリカ人は兵士を肉挽き器に放り込み、日本人は基本的に飢え死にし、その間にいた民間人は生き延びた。
クソみたいな話だが、少なくとも彼は「名誉ある」死を迎えたのだ。

残念なのは、どちらかがこの時以上にベストを尽くす機会はもう無かったということ

この人物をモデルにしたわけではないけど、戦争に徴兵された同じようなオリンピック選手を描いた『マイ・ウェイ』という素晴らしい映画があるよ

似たような話が『硫黄島からの手紙』にも出てくる。アメリカに住んでいて、確かオリンピック馬術選手だった日本兵が、硫黄島でアメリカ人捕虜を担当し、通常よりも敬意を払って扱かわれた…と思う。記憶が曖昧なのは、日本人の元カノとの初期のデートでこの映画を見て、ずっとお互いに横目で見ていたから…(;^^)

『不屈の男 アンブロークン』は、日本の捕虜となったアメリカ人アスリートについての物語。これはかなり良い映画

↑ 映画はひどいけど、原作の本はすばらしいと思う

参照元:
https://www.reddit.com/r/todayilearned/comments/nzqq3x/til_in_the_1936_olympics_two_japanese_pole/h1rk6co/

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匿名
匿名
3 年 前

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