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戦艦大和はなぜ「特攻作戦」を行ったのか?【海外の反応】

沖縄戦は、第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年9)、沖縄諸島に上陸したアメリカ軍とイギリス軍を主体とする連合国軍と日本軍との間で行われた戦いです。
参照:Wikipedia

沖縄侵攻の中で、日本の超戦艦「大和」が敵の攻撃を受け、船体が傾き始めました。
艦長は船の傾きを直そうとして、右舷の外側のエンジンルーム(機関室)を浸水させ、機関科員数百名が犠牲になった……という説もあります。
(この情報は吉田満氏の「戦艦大和の最期」という本がおそらく情報源になっています。しかし、機関ルームへの急速注水が可能とは思えないこと、よって非難する時間が十分あることなどが提唱されており、この説は懐疑的にみられています)

大和が最後に送り込まれた作戦自体も、当初より「特攻作戦」として立案されています。

坊ノ岬沖海戦(ぼうのみさきおきかいせん)は、1945年(昭和20年)4月7日に沖縄へ海上特攻隊として向かった戦艦大和とその護衛艦艇をアメリカ海軍の空母艦載機部隊が攻撃した戦闘

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%8A%E3%83%8E%E5%B2%AC%E6%B2%96%E6%B5%B7%E6%88%A6

史上最大の特攻作戦

確かに最大級の特攻作戦の一つであったが、大和には片道分の燃料しかなかった。例えば、ドイツの侵攻をカバーするために、損傷したシャルンホルスト戦艦をイギリスの海岸に停泊させるという提案があった。テキサスは偶然にもノルマンディーでそれをすることになりそうになった。

どちらの計画もうまくいかなかっただろう。プリンス・オブ・ウェールズとレパルス、そして大和と武蔵を失ったことは、航空戦力がなければ戦艦は役に立たないことを示している。彼らの装甲は大規模な航空攻撃に耐えられなかったのだ。

特攻を名誉とした時代背景

これは文化的なものだった。神風(カミカゼ)特攻隊を無駄なものではなく名誉なものと考えるように。これは一つの戦艦や海軍だけに限ったことではない。私は今の日本を愛しているし、どんな文化にも狂気や非合理性の欠片があるが、それを単に洗脳されたと言って擁護しようとするのは愚かなことだ。

2020年になっても、第二次世界大戦時代のプロパガンダに洗脳されたままだ。

神風特攻隊は実際にはある種の冷徹な論理を持っていた。米海軍の防空能力は1944年後半までに改善されていたので、通常の爆撃任務よりも神風任務で艦船をヒットさせるチャンスの方が高かったということだ。いずれにせよ飛行機を失うつもりだったので、それを最大限に活用した攻撃だった。

そう、そしておそらくこれの理由は近接信管だった。

海軍の研究によると、5インチ砲は1機破壊されるごとに1,000発の時限融合砲弾を発射しなければならなかったが、近接融合砲弾は約4分の1の発砲数しか必要としなかった。ある海軍歴史家は、導火線が日本人に戦術を変更させ、最終的には神風攻撃をもたらしたと示唆した。

パイロットアーマーと燃料タンクがないのもその一部だ。アメリカ人は50口径砲にも焼夷弾を使用していたが、それはしばしば燃料に火をつけて爆発させていた。

神風特攻隊だろうがなんだろうが、米海軍への攻撃は特攻だった。

最初はそうでもなかったが、最後には最大の港に撤退して、アメリカ軍に水陸両用攻撃を強要した方が良かったかもしれない。原爆が投下される前に浜辺を作っていたら、こうはなっていなかっただろう。

洗脳されても仕方がない、というのが文化的…。おい、その極端なレベルの文化って何だと思ってるんだ?

神風の回顧録とか読んだことある?文化的なものではなく、上の人がそうしろと言ったから洗脳されたんだよ。

「カミカゼをもって仁義にかなう」。神風戦術は従来の方法よりも統計的に効果的であった。攻撃に成功した場合、平均して失われた飛行機とパイロットの数は少ない。

文化というのは文字通り洗脳の一種である…。

船と共に爆発に飲み込まれた人々

“船長と多くのブリッジクルーは自分の持ち場に縛り付けられ、船と共に爆発に飲み込まれた”

コックピットにしばりつけられていた…狂気の沙汰だ。

サイパンでは、何百人もの日本の民間人がアメリカに降伏するどころか、崖から身を投げた。

硫黄島で捕虜にならないように手榴弾の周りに集まって自殺したやつとか…無駄な人生だった。

1.燃料がなくなるまで、船として航海して戦います。
2.自分で浜辺に立ち、弾薬がなくなるまで砲兵として戦います。
3.下船し、死ぬまで歩兵として戦います。

狂ってる。燃料がないから 海岸に身を置くつもりだったんだ。 “沿岸の大砲 “になってね。自暴自棄になるよ。

そんなことをする気すらなかった。大和の発進は本当に自殺行為に過ぎなかった。彼らは、沖縄に到達できないことを知っていたし、航空機に発見される前に米軍艦隊と交戦できる可能性はほとんどなかった。姉妹艦の「武蔵」がフィリピン海戦で何が起こったかは、少し前のフィリピン海戦ですでに見ていた。決断が下された瞬間、乗組員の死が決まった。

大和は本当に死ぬために送り込まれたんだ。当時の日本人の心理では、世界最大の戦艦を保有し、沖縄が失われている間、それを待機させることは許されなかった。この巨大な戦艦が停泊している状態で、軍部が天皇陛下に向かって「できることはすべてやった!」と言えるか?たとえ破壊が確実であったとしても、「できることはすべてやった」と言えるように、戦艦を戦場に投入しなければならなかった。

参照:
https://www.reddit.com/r/todayilearned/comments/kkd0fx/til_in_an_attempt_to_trim_out_the_listing_yamato/

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匿名
匿名
1 日 前

最後のコメントが正しい。
そして経緯はどうあれ沖縄を見捨てなかったということは誇っていい事だと思う。

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