新型コロナウイルス感染症の予防のため、アニメや実写作品などの製作にも影響が出ている。
本記事ではそれを逆手にとって意欲的な試みをしている作品を紹介したい。
令和仮面ライダーシリーズ2作目となる『仮面ライダーセイバー』だ。
仮面ライダー生誕50周年のメモリアルイヤーにまたがって放送されている本作では、シリーズが今まで培ってきた撮影技術と、感染予防への取り組みをアウフヘーベンした創意工夫が凝らされている。
単純に作品を提供し続けるための工夫に留まらず、世界観や設定をより楽しませるスパイスとなっているのだ。
撮影や作劇面での工夫により生まれたごっこ遊びの巧妙とストーリーテラー
「文豪にして剣豪!!」のキャッチコピーが示す通り、本作の仮面ライダーたちは全員剣士である。
身の丈を越える大剣や重ねると大きな手裏剣になる二刀流、銃剣といった個性豊かな形状の剣を使用し、それぞれ特色ある剣術を見せている。
剣を使った間合いになるため、撮影時にもソーシャル・ディスタンスを確保しやすいのではないだろうか。
子供たちがごっこ遊びをする場合においても、剣の分の距離を自然ととってくれるなら安心である。
そしてごっこ遊びにおいてはキングオブアーサーの登場が革新的であった。
キングオブアーサーは仮面ライダーシリーズにも定着しつつある巨大戦力のロボットで、あろうことか武器として仮面ライダーセイバー自身を剣にして戦うのだ。
仮面ライダーキバの飛翔態や仮面ライダーディケイドのファイナルフォームライド辺りから始まった変形する仮面ライダーが、ようやく実を結んだ瞬間だった。
この設定なら、高いおもちゃを買ってもらえない子でも、ソフビのセイバーを握って意気揚々とごっこ遊びができる。
仮面ライダークウガがその辺の棒を拾って、分子構造を変化させて武器を現地調達する設定に匹敵する、ごっこ遊びフレンドリーな設定だ。
加えて長年技術を積み重ねられてきたCG合成も本作ではふんだんに使用されている。
戦闘シーンでの効果や演出はもちろんのこと、野外ロケを決行しづらい情勢において、撮影所やセットでの撮影と合わせることで、シーンの移り変わりにメリハリをつけている。
怪人メギドによって、街の一部が異世界に転移されてしまい、それを取り戻すという設定も野外ロケに行けない分のビハインドを補ううまい工夫だと考える。
反面必然的に登場人物が限られてしまうところは残念である。
レギュラーキャラクターがソードオブロゴス関係者ばかりで一般人が芽依くらいしかいないのが淋しい。
せめてファンタジック本屋かみやまにお客さんが来ているような描写があると、作品世界で生きている人に顔と名前が与えられて実在感が増すのだが。
最光の登場以降、人間がメギドに変貌するパターンが出てきている。
これで一般人の存在にも脚光が当たり、世界観に奥行きが出ることを期待している。
一方それを補って余りあるのがストーリーテラーのタッセルの存在だ。
彼は汎用性高く、物語のあらすじやふり返りをまとめてくれているので、話がごちゃごちゃしないという利点もある。
元々タッセルは撮影が困難な際に総集編などを作りやすくすることを狙って配置されたキャラクターという面もあるらしいので、最大限に活用されていると言える。
タッセルはユーリと面識があるようだし、今後物語に関わってくる可能性もある。
仮面ライダー鎧武のDJサガラもストーリーテラー的な役割かと思いきや、例外的な立ち位置のまま相当な重要人物になっていたし、タッセルが物語の核心に関わってきても不思議ではない。
【次章セイバー】
20章はいかがでしたか٩( ᐛ )و?
次回は 第21章『最高に輝け、全身全色(フルカラー)。』です📖 🖋
飛羽真先生の胸アツ台詞を聞いたユーリが、次回満を 持してカッコつけてきます🥳🎉
凶悪なメギドも誕生するし注 目です!https://t.co/snelswIB2u #仮面ライダーセイバー#セイバー— 仮面ライダーセイバー【東 映公式】 (@saber_toei) January 31, 2021
本を題材としたことで仮面ライダーの伝統を踏襲した
もちろん「本」を題材としているところも見逃せない。
ステイホームで外に遊びに行けない分、読書は娯楽の中でも身近なものになっている。
本作に登場するワンダーライドブックは、誰もが知っている物語を連想する、どこかで聞いたことのある書名が次々と登場している。
ターゲット層である子供たちも親しみを持てるのだろう。
ライダーのフォームチェンジや戦い方の演出としてもCGを大量に使い、毎回凝った見せ方をしている。
新たな本が登場するたび「もしもあの本がワンダーライドブックだったら」と思わず想像力を働かせてしまう魅力的な設定だと言える。
子供に限らず、ファンがファンアートやオリジナルの仮面ライダーを考えてみたくなってしまう設定というのは、作品に人気が出る上で重要なことだ。
展開の予想から設定の考察、似顔絵やイラストの作成も含めて、活動的なファンのエネルギーが可視化されるということが、その作品の流行を客観的に示す指標になる。
それは特撮作品に限らずあらゆるカルチャーの先行事例で枚挙にいとまがない。
加えて本の力で戦う仮面ライダーの怪人の名前が「メギド」であることも重要視したい。
メギドという言葉から連想するのは聖書においてソドムとゴモラの街を滅ぼした天から降る「メギドの火」である。
仮面ライダーの力の源の「本」を焼きうる「火」と言うと、焚書を想い起こさせる物騒な設定だが。
ユタ大学の人類学者Polly Wiessner氏が、ある民族の会話内容について、米国科学アカデミー紀要に公表した研究報告書によると、炎の側で話される内容のうち81%は物語だったと言う。
それは我々の祖先においても例外ではないだろう。
焚き火を囲むことで、冷えを克服し、加熱調理によって飢えを克服し、明かりによって暗闇を克服した祖先たちにとって、火は安心を与えるものだったかもしれない。
加えて火の幻想的なゆらめきや薪の爆ぜる音にはリラクゼーション効果もあるだろう。
いい気持ちになって想像力が膨らんだところで、いろいろな物語が生まれていったというのはしっくり来る話である。
翻って仮面ライダーセイバーにおいて、本(物語)の力を借りて、本を燃やしうるメギドと戦う仮面ライダーだが、物語は火(メギド)なしでは生まれ得なかったと考えると、伝統的な仮面ライダーのテーマである自分の力と敵の力が同源であるという「親殺し」が受け継がれていると考察できる。
実際にはメギドが作品世界における物語の発生に関与しているわけではない。
だがたとえ場外試合であってもこの構図は魅力的だ。
メギドの目的は世界の起源に関わるという大いなる本をアルターブックとして書き換えてワンダーワールドを支配することのようだから、メギドの存在以前から大いなる本≒ワンダーライドブックは存在していたことになる。
アフターコロナ時代においても歴史は続く
電子書籍や整った通販環境もあり、まとめて読書をする機会としてステイホームはうってつけだ。
同じ本の感想でも読む人によって千差万別であるとき、読書とは各々固有の体験であることに気づく。
本という他者を通して自己の内心と向かい合い、鏡像のように覗き見る。
その本が書かれた時代や場所に左右されず、我々は作者と対話する。
現代ほど識字率が高くなく、読書という行為が娯楽として趣味として享受されていなかった時代には、他人にも感情や思考があるということが当たり前に理解されていたのだろうか。
想像力を持つと声高に言ってもなかなか難しい。
仮面ライダーV3を演じた宮内洋氏のように「ヒーロー番組は教育番組」とまでは言わないが、子供たちが仮面ライダーセイバーを通して本に親しみ、学問や文学をすることで、他者への思いやりを持った人に成長してくれたらと願わずにはいられない。
本来学問というものは、自分のわからないことがあるということをわかるためのもので、だからこそ想像し、考えていく必要がある。
無論、子供というものは大人の意図とは無関係に育っていくということも、我々は歴史から学んでいるのだが。